Dea-rimas <デア・リマス>

最近は天才調査がメインです。

皆様、こんにちは。OWLと申します。よろしくお願いいたします。
ここ最近は、いくつかのテーマのものを同時並行的に更新しております。

思ったことを不真面目に書いてます:日記以下
お笑いに関する感想を垂れ流してます:芸人感想
天才の星座を成り行きで調査してます:星座調査
星座調査に出てきた天才を紹介します:日々天才

その他のテーマは「カテゴリー別」からご覧ください。

2016年06月

準恒星状

最近、軽い思い付きで、毎日しりとりをしております。

「ん」で終わる言葉でしりとりをしようと思いましたが、なんか早くも厳しくなって参りましたので、やっぱり普通のしりとりを続けております。

前回の文字は「く」でありました。
というわけで、「く」で始まる言葉を挙げてみる次第であります。


えーさー
(クエーサー)
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ものすごく離れた場所に存在している上にものすごく明るいため、望遠鏡ではどのような構造になっているのかよく分からず、恒星のように見える天体のことでありまして、その名は「準恒星状(quasi-stellar)」の略であります。画像はクエーサーのイメージ図とのこと。最近でも研究が進んでおりまして、「APM 08279+5255」などという人に覚えられることを拒否するような名前のクエーサーでは地球上にある海水の140兆倍の水が存在すると判明したりと、なかなか桁違いな新事実が判明しているようです。


というわけで、明日は「あ」から始まる言葉でしりとり致します。
ではまた。

立体半径

今日は6月30日 木曜日です。
木曜日は「単位」を紹介する日になっております。

ということで、
この世に生まれた単位たちの中から
本日、ひとつ紹介いたします。


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(ステラジアン)
svg


+ OWLによる雑な説明 +
立体角の単位。以前、ここでご紹介したラジアンという単位の立体版であります。球の半径の1辺の長さとする正方形と等しい面積の球面上の部分、その部分の中心に対する立体角が1ステラジアンであります。語源はギリシャ語の「立体(στερεός)」とラテン語の「半径(radius)」。ギリシャ語の方はステレオの語源でもあります。


それでは、今回はこの辺で。

最大身長

最近、軽い思い付きで、毎日しりとりをしております。

「ん」で終わる言葉でしりとりをしようと思いましたが、なんか早くも厳しくなって参りましたので、やっぱり普通のしりとりを続けております。

前回の文字は「ま」でありました。
というわけで、「ま」で始まる言葉を挙げてみる次第であります。


るどぅーく
(マルドゥーク)
Apadana_winged_man


古代バビロニアで信仰されていたとされる神様。よっつの目と耳で何も見逃さず、聞き逃さず、神々の中で最も背が高く、他の神々の2倍の力を持ち、他の神々の10柱分の輝きに満ちているとのことで、武器は「嵐」と「雷」だそうです。とりあえず、思ったこととしては、考えた人が相当の負けず嫌いだったんだろうな、というところであります。


というわけで、明日は「く」から始まる言葉でしりとり致します。
ではまた。

土地基本

今日は6月29日 水曜日です。
水曜日は「法律」を紹介する日になっております。

ということで、
日本に存在するもしくは存在していた法律を法の素人の私が
本日、ひとつ紹介いたします。


土地基本法
(とちきほんほう)


+ OWLによる雑な説明 +
法令番号は平成元年12月22日法律第84号。土地についての基本理念を定め、国や地方公共団体、事業者、国民の土地に関する責務を明らかにするとともに施策の基本となる事項を定めまして、土地の適正な利用を確保し、国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展を目指している法律とのことであります。


それでは、今回はこの辺で。

三人漫才

漫才と言えば大概はふたりでやるものでして、
実際のお笑い芸人でも漫才はコンビが大半であります。
ひとりだと「漫談」と呼ばれ、別物として理解されますので、
仕方がないことだとしてもトリオでも漫才をする人は存在するのに、
それをやる芸人は極めて少ないのが現状であります。

なぜでしょうか。
とりあえず、ネットで軽く調べてみましたところ、
ウィキペディアの「漫才」の項目にこんなことが書いてありました。

俄や、俄から転化し2人で落語を演じる形式の軽口噺、浪曲の要素が混ざり合い
大正末期には吉本興業の芸人である横山エンタツ・花菱アチャコのコンビが
画期的な「しゃべくり漫才」で絶大な人気を博した。

ここで言う「俄(にわか)」とは「俄狂言(にわかきょうげん)」の略だそうで、
宴席や路上などで「にわかに」始める即興の芝居を指すようです。
まあ、それはともかく、どうも上記の文章を読む限り、
もともとふたりでやることを前提に作られたシステムだと
読み取れないこともありません。
少なくとも、ふたりでやるとやりやすい形にしたのではと推測できます。
そうなると、3人目の芸人という存在は想定外だったという可能性もあります。

一方、漫才と同じくらいお笑い芸人に用いられる「コント」は、
もともとが演劇から来ているようで、
これは即ち特定の人数を前提に考えられたシステムではないと考えられます。
だからこそ、ひとりでやるコントは「ひとりコント」と言う風に
コントの一形態として分類されており、
3人以上で形成されるお笑いグループの多くが
コントを主戦場にしているのでありましょう。
更にはより多くの人が集まってコントをする場合もあるわけで、
人数に関してだけ言えばコントは漫才に比べてより自由な印象がございます。

そんなわけで、本来ふたりでやる漫才にもうひとり入れるというのは、
見た目以上に大変なようであります。

例えば日常会話でも、ふたりなら相手のほうに集中すればいいだけなのが
3人となりますとまた別の人にも集中力を割かねばならない。
誰がどれくらい喋ればいいのか、どうすればうまく会話が成立するのか。
人数が増える利点もございますが、気を遣う点もまた増えることでしょう。

日常会話でもこれなのに、更に芸人として誰かを笑わせるとなると、
より一層、大変になってくるでしょう。
それぞれのキャラクターをいかに差別化するかも必要ですし、
3人ならではのネタを用意する必要も出てくるわけです。
ふたりでできるネタならわざわざ3人でやる必要が疑問視されますから。

では、実際のトリオ漫才はどんな風なのか。
3組ほど例に出してみたいと思います。

まずはポテト少年団であります。
結成は1999年で、2015年の9月末に解散、現在は3人中ふたりが芸人を引退しており、
残りひとりはピン芸人をしておられます。
立ち位置はツッコミを中心にボケが両脇を固める形でして、
ツッコミはプラスチック製のメガホンでボケふたりを叩いて突っ込みます。

基本的な形態は主にふたつと記憶しております。

ひとつ目は片方がボケては突っ込み、それからもう片方がボケて突っ込む形です。
言わば、ふたりでやる漫才を、
ツッコミがボケの相手をちょいちょい変えながら展開するようなもので、
ツッコミがひとりのボケに対応している時、
もうひとりのボケに背中を向けているような状態にすらなっております。
ボケちょいちょい取り換える以外はふたりでやる漫才と同じですので、
堅いと言えば堅いのでありますが、常にひとりはお留守になりますし、
ネタの形からしても「ふたりでもできるのでは」となる可能性が出てきます。

ふたつ目はボケふたりが同時におかしなことをやり始め、
ツッコミが両方を一気に突っ込んでいくという形であります。
これなら誰かがお留守になることはなくなりますが、
ボケ同士が呼吸を合わせてひとつのボケを形作ったり
突っ込む対象がふたりになったりするため、
ふたりでやるよりもボケてから突っ込むまでに時間がかかります。
特にこのトリオの場合はツッコミの方式を
「ひとつのメガホンで叩く」に固定してしまった関係もあり、
ふたり同時に突っ込みを入れる方法が確立できず、
余計に時間を食う羽目になったように思われます。

まあとにかく、主に上記のふたつを用いて、ちょっとずつ話を進める。
このような漫才だったと記憶しております。

続いてはBコースであります。

結成は1996年、2012年に解散後、全員がピン芸人となり、
現在はその中のひとりが芸人を引退しております。
立ち位置は最初こそツッコミが真ん中でボケが両脇という形ですが、
ネタが始まってしばらくすると、
ツッコミが客席から見て左に移動する場合も多く見られました。
ちなみに、ツッコミはスリッパを持ってまして、
それでボケの頭を叩くことによって突っ込みます。

彼らの基本的な形式はひとつでありまして、
ボケふたりが何やらおかしなことをやり、
ツッコミは舞台の隅から文句を言いながらもしばらく見守り、
ボケふたりの暴走が酷くなってからツッコミが「集合」と言って
舞台中央のマイク前に集合させ、ボケふたりの頭をスリッパで叩く。
そのあと、ボケふたりが小ボケを繰り出してはツッコミがスリッパで叩く、
ということを何回か繰り返す。
ここまでを1セットとし、あとはネタのテーマに沿って数セット繰り返す。
これを1ネタにしておりました。

漫才の形式を取ってはおりますけれども、
見方によってはショートコントをいくつかくっ付けた形にも近いように思います。
また、同じ形の構造が続くため、いかに単調にならないようにするかが、
彼らのネタの大きな課題だったように思います。

最後は我が家であります。

結成は2003年で、現在も活動中であります。

主にコントをしているトリオではございますが、
漫才もやっておりまして、ボケとツッコミを入れ替えるという、
「ローテーション漫才」というものが知られております。
これは立ち位置やボケとツッコミの関係性を
一定の法則にしたがって次々に変更していくという独特なものでありまして、
彼らの知名度をあげるきっかけのひとつにもなったと記憶しております。

ボケやツッコミの役割分担が比較的緩いコントをメインにやっていた
彼らだからこそ考え出された方式なのでありましょう。
斬新ではございましたけれども、ローテーションが一形態のみであるため、
ローテーションに慣れてしまうと単調になりかねない危険性がつきまといます。

とまあ、こんな感じでトリオ漫才の形式は、
ふたりでやる漫才よりも手数が少ない印象です。
やりづらい形式だからなのか、はたまた挑戦者が少なく未開拓なだけなのか、
判別はつきませんけれども、現状は大体こんな感じだと思われます。

ただ、トリオ漫才というジャンルが手詰まりというわけではないようです。

数年前に千葉大学の文化祭か何かでお笑いサークルのライブを見た時、
とあるトリオ漫才を見て驚いたのであります。
名前は「常夏ウィンターズ」でありまして、
ツッコミがひとりと、ツッコミの1年後輩ふたりがボケでありました。
立ち位置はツッコミを中心にボケが両脇を固める形であります。
しかし、これまでのトリオと異なり、
ボケのふたりがツッコミよりも半歩ほど前に出ております。
ボケふたりが常にこの半歩前をキープするというのは、
ありそうでなかなかなかった点であります。

形式自体は単純な言葉で表現できます。
ボケのふたりが好き放題にボケては、
ツッコミがちょっと後ろから戸惑いながら突っ込むのであります。

ですが、これがこれまで見たどのトリオ漫才よりも、
うまく事を運んでおりまして、
単純なようでいてなかなかネタが単調にならない。
例えば、片方がボケてツッコミがそれに対応するという形もあれば、
いきなりボケふたりが協力してボケたりもする。
かと思えばまたひとりずつボケるなどネタの進行が不規則で、
結果的に単調になりにくいネタ進行になっております。
またツッコミが片方のボケの対処をし終わらないうちから、
もう片方がボケを開始することが珍しくなく、
トリオ漫才にしては珍しく非常にいいテンポで話が進んでいます。
客席も、身内が多いことを差し引いても相当ウケていたのであります。

あまりにビックリして、後でツッコミの方に、
どうやってネタを作ったのか、ついつい聴きに行ってしまいました。
知らない人にいきなりそんなことを聴かれて相当戸惑ってましたが、
ツッコミのかたはちゃんと端的に答えてくださいました。
「後輩のふたりが好き勝手に考えたボケに突っ込んでいるだけ」
という感じの返答だったと記憶しております。

目からうろこが落ちる思いでありました。
なかなか先が読めないネタになっているのも、
片方のボケが終わる前からもう片方がボケ始めたりするのも、
ボケのふたりが好き勝手やっていたからだったのであります。

あとは、先輩でありますツッコミが生来のいじられ上手らしく、
後輩ボケふたりに振り回されながらも必死に突っ込むようすも、
面白く映る点も無視できないポイントだったようの思います。

もちろん、いろんな歯車がたまたまうまく噛み合っている、
という可能性は否定できないでしょう。
同じことをやろうとしたって、
ボケふたりとツッコミの人柄が変わってしまえば
ネタの性質も変化するでしょうし、
違う会場でやったらウケ方が異なる場合だってあるかもしれません。
それに、このようなネタができたからプロで通用するとは限らないでしょう。

ただ、トリオ漫才として相当な出来のものを
アマチュア芸人から見出せたのは個人的には何か意義があったように思います。
アマチュア芸人の見方が変わった、印象深い出来事でありました。

窒素固定

最近、軽い思い付きで、毎日しりとりをしております。

「ん」で終わる言葉でしりとりをしようと思いましたが、なんか早くも厳しくなって参りましたので、やっぱり普通のしりとりを続けております。

前回の文字は「い」でありました。
というわけで、「い」で始まる言葉を挙げてみる次第であります。


なづま
(稲妻)
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雷の際に起こる光を指します。名前の由来は、その昔、稲穂は落雷することによって実る、と考えられていたようで、そこから「稲の妻」という考えが生まれ、それが雷を稲妻と呼ばれるようになったようです。落雷により空気中の窒素が田畑にくっつきまして、それが一種の肥料の役割を果たすことから、妥当な解釈だと考えられます。


というわけで、明日は「ま」から始まる言葉でしりとり致します。
ではまた。

古代滅亡

今日は6月28日 火曜日です。
火曜日は「仮説学説」を紹介する日になっております。

まあ、仮説とか学説とか、
それ以外にも名の知れた考え方みたいなものを適当に選んで、
本日、ひとつ紹介いたします。


古代核戦争説
(こだいかくせんそうせつ)
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+ OWLによる雑な説明 +
大昔の地球では現代人の知らない超古代文明が栄えていたが、核戦争により滅亡してしまったという説。いわゆるオカルトの範疇として見られている説でして、きちんとした分析による成果は存在せず、歴史学者や考古学者に見向きもされていないようです。核戦争の脅威が真剣に論じられていた冷戦期に比較的よく扱われていた題材の模様。


それでは、今回はこの辺で。

蟻食動物

最近、軽い思い付きで、毎日しりとりをしております。

「ん」で終わる言葉でしりとりをしようと思いましたが、なんか早くも厳しくなって参りましたので、やっぱり普通のしりとりを続けております。

前回の文字は「あ」でありました。
というわけで、「あ」で始まる言葉を挙げてみる次第であります。


りくい
(アリクイ)
T_tetradactyla_1


長い舌で、その名のとおりアリを食べる哺乳類でありますが、アリ以外の食べ物も普通に食べるとのこと。動物園でしばしば飼育されているほか、個人で育てることも可能ではあるようです。よく見ると結構愛嬌のある顔をしております。


というわけで、明日は「い」から始まる言葉でしりとり致します。
ではまた。

利用者数

今日は6月27日 月曜日です。
月曜日は「定理法則」を紹介する日になっております。

ということで、
「○○の定理」「××の法則」みたいなものを
本日、ひとつ紹介いたします。


メトカーフの法則
(めとかーふのほうそく)
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+ OWLによる雑な説明 +
「メトカルフェの法則」とも言うようです。通信網に関する法則で、「通信網の価値は利用者数の二乗に比例する。また、通信網の価格は利用者数に比例する」というものであります。例えば、通信網に3倍の費用をかけて利用者数を3倍にすると、通信網の価値は9倍になるとのこと。ただし、言葉の壁がある場合などは除外される模様。


それでは、今回はこの辺で。

拷問不可

メタルマックスというシリーズのゲームがございまして、
その中の拷問としてドラム缶をひたすら押すだけというものがありました。

似たようなタイプの拷問で、
自分で掘った穴を自分で埋めるというものもあったなあと思って検索したら、
ドストエフスキーの「地下室の手記」が出典のようです。

他にも神話や言い伝えの類でも似たようなものがございまして、
いくら石を積んでも鬼に崩されるという賽の河原のお話や、
山頂まで岩を持ち上げることを命じられたのに山頂付近で
岩が底まで転がり落ちてしまうというシーシュポスの岩などが
その一例としてあげられます。

意味のない苦労を繰り返しさせられることは、
人にとって拷問に匹敵する苦しい行為になりうるのでありましょう。
その辺からヒントを得たのかは知りませんが、
企業が不要な人間を会社から追い出すために意味のない仕事をさせる、
という出来事が今でも時々問題になっております。

しかし、私としてはそこのところ、前々から疑問に思っておりました。
それは人間の趣味の多様さを甘く見てるんじゃないかと。

どれだけ早くドラム缶を押せるか、どれだけ大きな穴を掘って埋められるか、
鬼の目を盗んで積めた石の数、わざと難しいコースを通って山頂まで岩を運ぶ、
などなど、遊びと申しますか、個人的な達成感を見出す余地は
どう考えてもたくさんあるように思えてならないのであります。
少なくとも、身体的な痛みに比べれば山ほどあるのではないかと。

企業の追い出し目的による意味のない仕事だって、
むしろそういうことやってお金を貰えるなんてラッキーっていう人も
ひょっとしたらいるんじゃないかと思ってしまうのであります。
大体、そういう人はそういう境遇を問題だと思ってませんから
マスコミも問題として取り上げず、世間に知られていないだけで、
実際は嬉々として石を積み上げては自ら崩すことでお金を貰っている、
なんていうメンタルお化けな企業人がいるのかもしれません。

まあ、特定の嫌がらせが通じなければ別の嫌がらせを試してくるのが
関の山でありますからして、
いつまでも石を積み上げて飯を食うわけにもいかないでしょうけれども、
他の嫌がらせにも充実感や達成感を見出してしまい、
一向に嫌がらせにならない可能性もまだまだゼロではありません。

そういやあ同じことを考えている人が主にお笑い方面にいるらしく、
どんな拷問も聞かずに結局地獄を追い出され、
この世に戻ったり天国に連れてかれたりする話を
ギャグマンガや笑い話などの形でみっつほど見聞きしたことがあります。

特に努力してるわけでもないのに拷問が効かない、という笑い話の多くは
フィクションではありますけれども、
事実は小説よりも奇なりと申しますし、架空の話が現実化しないとも限りません。
ですから、自分で積んだ石を自分で壊すことで富を得ている人が
社会のどこかで平然と暮らしている可能性もあるわけでありまして、
私としてはいつかそんな人にお会いして根掘り葉掘りあれこれ聞いてみたい、
そんな感じで思いをはせているのであります。
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