Dea-rimas <デア・リマス>

最近は天才調査がメインです。

皆様、こんにちは。OWLと申します。よろしくお願いいたします。
ここ最近は、いくつかのテーマのものを同時並行的に更新しております。

思ったことを不真面目に書いてます:日記以下
お笑いに関する感想を垂れ流してます:芸人感想
天才の星座を成り行きで調査してます:星座調査
星座調査に出てきた天才を紹介します:日々天才

その他のテーマは「カテゴリー別」からご覧ください。

2018年01月

機関完成

1月30日生まれの天才
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ジェームズ・ワット
James Watt
 (1736-1819)
 発明家、機械技術者。イギリスのグリーノック生まれ。ニューコメンの蒸気機関に改良を施し、イギリスだけでなく全世界の産業革命進展に寄与した人物として知られます。
 ニューコメンの蒸気機関の修理した際、送り込んだ蒸気を凝縮させる過程に熱効率を悪くさせる原因があることを発見、分離凝縮器を考案して熱効率を改善することにより燃料の節約に繋げるなどの改良をおこない、蒸気機関を汎用動力機として完成させ、産業革命及び工業化の原動力にまで昇華させました。また、複写機の開発者としても知られ、その複写機は20世紀まで利用されました。ちなみに、仕事率の単位「ワット」は彼の名を称える目的で付けられました。
 一方で、蒸気機関で成功すると、部下による新しい技術の開発を妨害していたようで、そのせいで蒸気機関車の完成が遅れたのではないかという説もあるようです。

参考文献 
 「はじめて学ぶ科学史」共立出版、2014年
 「科学 その歩み」東京教学社、1988年
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88

否定発見

1月29日生まれの天才
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エドワード・モーリー
Edward Williams Morley
 (1838-1923)
 物理学者。アメリカのニューアーク生まれ。失敗したことで有名となった「マイケルソン・モーリーの実験」で知られます。
 マイケルソンと共に干渉計を用いて光速に対する地球の速さの比 (β=v/c) の二乗β2を検出することを目的とした実験「マイケルソン・モーリーの実験」をおこない、光が伝播するために必要な触媒「エーテル」の存在を証明しようと試みましたが、地球の運動による光速度の変化は認められず、「エーテル」の存在を否定する結果となりました。しかし、むしろそれが大きな発見となりまして、モーリーの最大の功績として数えられるようになりました。大気の酸素成分の研究、熱拡散、磁場中の光速の実験でも知られます。

主な受賞歴
 デービーメダル(1907年)
 エリオット・クレッソン・メダル(1912年)
 ウィラード・・ギブズ賞(1917年)

参考文献
 「はじめて学ぶ科学史」共立出版、2014年
 「科学 その歩み」東京教学社、1988年
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC
 https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_W._Morley

医学部長

1月29日生まれの天才
Kitasato_Shibasaburo
北里柴三郎
きたざと しばさぶろう
 (1853-1931)
 医学者、細菌学者。熊本県阿蘇郡小国町生まれ。北里研究所や慶應義塾大学医学部の設立者であり、「日本の細菌学の父」と目されます。
 破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功した他、菌を少しずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す「血清療法」を開発しました。また、イェルサンとは独立にペスト菌を発見するという業績でも知られます。私財を投じて北里研究所を設立し、様々な病原菌の血清開発に取り組みました。福沢諭吉の没後には恩義に報いるため慶応義塾大学医学部を設立して初代医学部長に就任、終生無給で医学部の発展に尽力するなど、日本医学の発展にも貢献しました。コッホの弟子としても知られます。
 共同研究者のベーリングのみがノーベル生理学医学賞を受賞したことに加え、第1回ノーベル生理学医学賞の最終候補15人に挙がっていたこともあり、惜しくもノーベル賞を取れなかった日本人のひとりとしても知られております。

主な受賞歴
 勲三等瑞宝章(1892年)
 勲三等旭日中綬章(1894年)
 勲二等瑞宝章(1906年)
 勲一等旭日大綬章(1931年)

参考文献
 「科学 その歩み」東京教学社、1988年
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8C%E6%9F%B4%E4%B8%89%E9%83%8E

衛生概念

 昔と比べて良くなっていることはそこら中にたくさん転がっておりましょうが、個人的には清潔になってきている点を挙げたい次第です。私が子供の頃はその辺の公衆トイレに行けばこの世の地獄みたいな光景が見て取れたものでありますが、今では公共施設のトイレもだいぶ綺麗な場所が増えてきたように思います。人々の考えの変化が原因だとは思いますが、同時に私のようなズボラな人間でも汚れにくかったり、楽で効率的な掃除を可能にする製品が出回ったのも大きいかと存じます。自動で洗浄を始めるトイレを見ると特にそう思います。

 さて、地獄のようなトイレが公共施設に溢れていた頃のお話になりますけれども、小学校の課外学習の一環として山奥の施設にて一泊することになりました。課外学習と言っても4人くらいの班になって山の中を歩き回るのが主な活動ではありましたが、教室で教科書を開いたまま先生の話を聞くよりは遥かに新鮮でありまして、それなりに楽しんだと記憶しております。

 食事は当然、教師や学校の仲間と集団でいただくわけでして、そちらもまたそれなりに楽しんだのでありますけれども、ふと天井を見上げますと妙なのであります。3メートルはあろうかという高い天井、その白い天井に黒く点のようなものがいくつかある。何だあれ、と思う間もなく正体は分かりました。人家に侵入する昆虫の中では最も嫌われている例のやつ、人によっては名前すら言いたくないのかイニシャルで語られるあいつであります。そいつが天井でジッとしているんであります。

 私も近くの友人と一緒に「きめえ」とか言いながらご飯を食べていたのでありますけれども、やつらは天井からピクリとも動かないので普通に食事を済ませていたのであります。で、一晩泊まって次の日、夜中にトイレへ行ったという友人が、何となく食堂を覗いたそうなのであります。

「あいつら夜に下へ降りてやがった」

 今考えると大丈夫かこれは、という環境でありましたが、特に保健所が出てくるような騒ぎも起きず課外授業は終了いたしました。まあ、当時はそんな状態だったとしてもきっと今は綺麗になっているのでしょう。そう思ってネットで検索したところ、割と最近、普通に集団感染を起こして施設の利用が一時中止になっていたというニュースを発見いたしました。どういうことですか。全然ダメじゃないですか。あれから何十年も経っているはずですよ。

 都市部で生まれたものが田舎の隅まで行き渡るのは時間がかかる。衛生概念もまた然りなのかもしれません。

運動理論

1月28日生まれの天才
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ジョヴァンニ・ボレリ
Giovanni Alfonso Borelli
 (1608-1679)
 物理学者、生理学者。イタリアのナポリ生まれ。天体や動物の運動理論における基礎を築いた人物として知られています。
 天体では惑星の軌道が楕円軌道となる理由を説明するなど、地上の力学と天体における法則を結び付ける試みをしました。一方の動物では力学的原理に基づいて筋肉の運動を説明し、更に胃の働きなども機械的な作用として解釈したことが評価されています。何気にマルピーギとも交流があったようです。
 また、ボレリは自己完結型の水中呼吸装置、現在で言うところのリブリーザーにあたる装置を考えた最初の人物であると考えられております。ただし、作られた装置は誰にも使われず、試験もされなかったようです。

参考文献
 「科学 その歩み」東京教学社、1988年
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AC%E3%83%AA
 https://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Alfonso_Borelli

邸宅前駅

 生徒の興味を自分の話に引きつける目的なのでしょうが、小噺の上手な先生というのが一定数いるのであります。そういう先生たちを調べていけば、日々新しい小噺を作っている人もいれば、いくつかの鉄板ネタを回して凌ぐ人もいるでしょう。

 私が遭遇した中学の理科教師がそのどちらなのかは今となっては分かりませんが、とにかくその先生も小噺が上手でありまして、それゆえに生徒から人気がありました。仮にその先生を田中先生と致しますけれども、田中先生は授業が始まると教科書を開く前に数分程度の小噺を入れるんであります。そこで自分の言動に興味を持たしてから理科を教えるのが田中先生の常套手段なのでありましょう。

 田中先生のご自宅はとある駅の前にあります。先生が小噺でそう言ったからであります。その駅の名前は高校の近くだったため、「○○高校前」という駅でありました。しかし、その名前は正確でないと田中先生は憤ります。確かに駅の近くに高校があるんでございますけれども、駅からは若干の距離がありまして、「高校前」と言うには駅の目の前にはない。一方、田中先生のご自宅は駅の目の前にあるわけでして、「○○高校前」という駅前は「田中邸宅前」にするべきだ、というのが田中先生の持論であり、小噺であります。

 それから月日は流れまして、そんな田舎の無人駅に変化が訪れました。近くの高校が統廃合により事実上の閉校をしたのであります。いよいよ「田中邸宅前」駅の誕生か、と思いましたけれども、新たに付けられた駅名は「田中邸宅前」にはかすりもしない地元の地名でありました。

 今も教師をされているのでしたら、田中先生はきっとこの出来事も小噺にしていることでしょう。どんな小噺で生徒の注意を引いているのか、ほんの少しだけ気になります。

 

原人発見

1月28日生まれの天才
Eugene_Dubois
ウジェーヌ・デュボワ
Marie Eugène Francois Thomas Dubois
 (1858-1940)
 人類学者など。オランダのエイスデン生まれ。「ジャワ原人」の発見者として知られます。
 軍医として当時オランダ領だったインドネシアに渡り、類人猿と現生人類の中間にあたる種を探し求めた結果、ジャワ島にて原人の頭蓋骨、臼歯、左大腿骨などの化石を発見しました。これを「ピテカントロプス・エレクトゥス」と名付けまして、俗に「ジャワ原人」と呼ばれます。
 当時は否定的な学者も結構いたようですが、「北京原人」が発見されたことをきっかけに、最古の人類の一種として認められるようになったとのこと。

参考文献
 「科学 その歩み」東京教学社、1988年
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%9C%E3%83%AF

反応準備

 とにかく道を聞かれやすいのです。話しかけて大丈夫そうな外見なのかもしれません。今じゃスマホで調べればすぐ済むので道案内は楽になりましたが、私のその特徴が講演やお笑いライブでも発動するんであります。どういうことかと申しますと、聴衆のひとりとして座っているのに壇上や舞台上の人に話しかけられるんであります。

 一応の原因は何となく分かるんであります。遅刻が怖い私は開始時刻より早く辿り着くことが極めて多いため、会場が自由席だったりすると座る列がほぼ最前列になる。更に、講演者や芸人の言動を集中して見ますし、喋る人が「○○をしたことある人いますか」みたいに聴衆へ挙手を求めるような程度ならばためらわず反応する。そりゃあ、喋ってる人からしてみたら「この人、自分の話を聞く気満々だしなんかノリもよさそう」と思うでしょう。

 しかし、いざ「あなたはどう思いますか」みたいに話しかけられますと、聴衆のひとりとして話を聴く気満々の状態だった私は、まさか自分に話しかけられるなんて全く思ってないゆえに面食らってしまい、何も言えなくなる。とりあえず、何か適切な返事を選んで言おうと思う頃には相手が「これはダメだ」と判断して話を進めてしまう。これが私なりに最も妥当だと思われる理由と申しますか、言い訳であります。

 もちろん、自発的に講演なりライブなりに参上したのでありますから、一緒になってイベントを盛り上げ、成功させたい気持ちはございます。ただ急な想定外に対応しきれない。ここが問題点でありましょう。

 改善法が見出せていないわけではございません。せめて気持ちの準備さえできていれば今よりはマシにはなる。現に、観客のひとりが舞台上で芸人と一緒に簡単なゲームをするというイベントの際には、立候補者がなかなか現れず、「これはいつか自分が指名されるな」と腹をくくる時間があったせいか、「お願いできますか」という申し出にも「はい」と返事ができたわけであります。ということは講演やライブの最中に気持ちを整えればいいわけです。いや、始まってしまうと聴くことに集中してしまうのは目に見えてますから、聴衆として参加する前、なんなら家を出る前に「もし話しかけたらとりあえず何か答えよう」と気持ちを整えるべきでしょう。相手の質問を想定し、状況に応じてみっつくらい答えを用意するですとか、場合によっては舞台に上がって何かする準備も必要でしょう。ひょっとしたら軽妙なトークで五分くらい場を持たせなければならない場面だって出てくるかもしれない。

 だんだん聴く側じゃなくて話す側の準備になってますね。失礼しました。

近代化学

1月25日生まれの天才
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ロバート・ボイル
Robert William Boyle
 (1627-1691)
 化学者、物理学者、発明家など。アイルランドのリズモア生まれ。錬金術をベースとした研究をしていたものの、化学の基礎を築くなど化学の近代化への道を拓いた功績から「近代化学の父」と称されます。
 温度が一定の場合、気体の体積は圧力に反比例するという「ボイルの法則」の発見が有名です。この法則は後にシャルルが温度に変化が生じた場合を一般化し、現在では「ボイル=シャルルの法則」として広く知られております。また、金属を燃やすと重量が増加する、密室容器内にいる小動物は空気を抜かれると窒息状態になる、真空中では燃やそうとしても燃えないなど、呼吸と燃焼に関する基本的な現象を観察し、呼吸という生理的現象を燃焼という化学的現象に初めて関連付けました。更に、ガッサンディの原子論を発展させ、原子から目に見える物質が直接作られるわけではなく、その間に原子が集まった塊などの段階があるとし、ものの性質はそれを作っている粒子の形や大きさ、配列、運動によって異なり、物質の変化は各段階の粒子の結合が組変わることによって起こると考えました。これは長らく信じられてきたアリストテレスの4元素仮説やパラケルススの医科学に異議を唱え、実験と観察によって物質の性質を明らかにしようと試みたということでありまして、科学史の中でも重要な出来事と見なされております。他にも真空ポンプの改良や空気が音の伝播に果たす役割、水が凍る際の膨張力などの研究にも功績を残しております。ガリレオに師事した経験があったり、フックを助手にしていた時もあるとのこと。
 呼吸の研究もしていたこともあり、研究領域は生理学にまで広がったようですが、優しい性格からか生き物の解剖まではできなかったようです。

参考文献
 「はじめて学ぶ科学史」共立出版、2014年
 「科学 その歩み」東京教学社、1988年
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB

背中胸肉

 なんか変なとこの筋肉が張るようになったんであります。背中の左上部分が何やら時々ピンと張るような感覚に襲われるんであります。

 こいつは病院に行かねば、と反射的に思った私でありますが、割と大したことない症状でもビビッて病院に駆け込み医者に笑われるということが一度や二度ではないチキンオブチキンの私はもう少し症状を分析してみることにしました。

 筋肉が張るのは左腕で重いものを持った時が極めて多い。そして、背中ほどではないにしても、左腕の筋肉も全体的に張っている。そこで私はどこかの筋肉が何らかの原因で使い過ぎた可能性を考えました。と申しますのも、私、以前にゲームを1日15時間やるという生活を続けておりました結果、腕から肩にかけてガチガチに張ってしまうということがありまして、その時の感覚に近かったのであります。

 あとは最近になって左腕を酷使する出来事がなかったか、探し出せばいいだけであります。ちょっと時間がかかりましたが、判明いたしました。

 先日、タマネギが安かった私はついたくさん買ってしまいました。幸い、同じものを一週間食べても全然平気な私は、簡単でおいしい玉葱料理を検討した結果、コンソメスープを採用いたしました。ただし、さすがにタマネギだけでは味気ない。というわけで、同じく安かった鳥のむね肉を大量に購入して冷凍し、必要な分だけを切り出して調理するということを繰り返しておりました。

 食べ物を腐らせると相当へこむということを長年のひとり暮らしで知っている私はむね肉をガチガチに凍らせておりました。で、凍ったまま切って煮込んでいた。凍ったむね肉は堅いし滑りやすい。包丁を持つ手はもちろん、むね肉を押さえる手にも力が入る。その押さえる手が我が左手でありました。

 むね肉調理が原因なんてそんな馬鹿な、と思いましたけれども、大量のタマネギとむね肉を調理し終わった途端、背中の調子はみるみる良くなったのであります。何だよ、本当にそうだったのかよ。こんなくだらないことが原因で思い煩っうとは思いませんでした。

 しかし、むね肉で背中の筋肉が張るようになったって、ややこしいなぞなぞみたいですね。
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