Dea-rimas <デア・リマス>

最近は天才調査がメインです。

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オードリー

区別曖昧

0:まずはじめに
 漫才におけるボケとツッコミの区別がいまいち分からないという話を聞きました。普通、ボケと言えばおかしなことを言う人で、ツッコミがそれを訂正する人という印象かと思われます。しかし、最近の漫才はツッコミがボケっぽいことを言っている場合が多いため、どちらがボケでどちらがツッコミなのか、見分けがつきづらくなっているようです。

 どうしてそうなったのか。それは漫才を面白くするよう漫才師たちが苦心した結果だと思います。では、ツッコミはどう変わったのか。そして、どんな形があるのか。ツッコミの種類をネットで調べてみましたが、非常に細かく分類してありました。それはそれで興味深かったですが、ここではなるべく単純な形で分類してみました。

 より簡単に説明できるよう、言葉の視点での分類に限定しました。つまり、面白い顔をしたり相方を叩いたりといった動作や表情によるツッコミは、今回は考慮しておりません。それから、俗に「間(ま)」と呼ばれる、ボケてからツッコミを入れるまでの時間による分類も今回は省略してあります。

 それでは、まずはツッコミの基本形を、例文を用いて説明してみます。

1:基本形
「僕の好きな女性アイドルは山田太郎さん」
「男じゃん」
「身長はキュートな5メートル」
「そんなわけないだろ」
 ボケがおかしなことを言い、ツッコミが訂正をする。基本中の基本ではありますが、だからと言って軽く見ていいというわけではなく、むしろこのようなシンプルなツッコミで笑いを取れるツッコミがいいツッコミだ、という考え方も存在しています。

 では、上記の例文をちょっと変えて、ツッコミを数種類、説明して参ります。


2:乗る
「僕の好きな女性アイドルは山田太郎さん」
「あら、可憐な名前。いや、男じゃん」
 いわゆる「ノリツッコミ」と呼ばれるものです。先ほども書いた通り、ツッコミの基本形は訂正でしたが、ここでのツッコミはボケの発言を一旦は肯定します。この肯定が俗に「乗る」と呼ばれる行為でして、ツッコミの発言でも乗っている部分はボケの性質を持っています。ツッコミはボケを訂正するはずだ、という観客の予想を裏切ることで笑いを誘う方法と考えられますが、ボケとツッコミの区別を分かりづらくしていることも事実です。


3:例える
「身長はキュートな5メートル」
「もう妖怪じゃん」
 こちらは「例えツッコミ」と呼ばれています。ボケのおかしな発言に対して、的確な例えを用いて訂正するというやり方ももちろんありますが、おかしな例えを持ってきてツッコむという方法も広く使われています。この「おかしな例え」がボケのような働きをするため、ツッコミの発言なのにボケっぽく見えてしまう場合がございます。


4:広げる
「身長はキュートな5メートル」
「誰とも握手できないじゃん。ひとりだけうつ伏せで握手会するの?」
 ボケの発言から話を広げることでウケを狙うツッコミというものがございます。基本形のような訂正だけのツッコミに比べ、ツッコミがボケのおかしさを具体的に説明することで笑いやすくさせています。現在では広く使われている方法でしょう。例えツッコミも同様ですが、言葉選びのセンスが試されるツッコミでもありまして、人の笑いを誘うような説明をする部分がボケっぽく聞こえてしまう場合もございます。


5:泳がせる
「僕の好きな女性アイドルは山田太郎さん」
「ほう」
「身長はキュートな5メートル」
「なるほど」
「好きな食べ物は石油、砂利、コンクリート」
「いいですな」
 俗に「すかし」と呼ばれる手法と考えてもらって問題ないと思います。これもまたツッコミはボケの発言を訂正するはずだ、という客の予想を裏切る形で笑いを誘う形です。ちょっとややこしい話になりますが、「ツッコんでない」ということが本来のツッコミよりもボケ寄りになるため、ボケっぽく感じられる人がいるかと存じます。泳がせ方としては相槌を打つだけのものもあれば、敢えて無視をするという形もございます。

 もちろん、泳がせるだけ泳がしといて、
「好きな食べ物は石油、砂利、コンクリート」
「誰が怪獣を紹介しろと言った」
という風に後からツッコむ形もございます。


6:思い直す
「好きな食べ物は石油、砂利、コンクリート」
「誰が怪獣を紹介しろと言った。いや、怪獣にしては小さいな」
 最初はボケの発言を訂正しておいて後半でちょっと歩み寄る。もしくは自分でボケて自分でツッコむ。そういう意味ではノリツッコミと順序が逆になっています。やっぱりボケの要素が入っているように見えてしまっています。


7:間違える
「僕の好きな女性アイドルは山田太郎さん」
「鈴木次郎だろ」
「どこツッコんでんだよ。ちなみに身長はキュートな5メートル」
「そこは贅沢に10メートルだろ」
「贅沢にって何だよ」
 最後に「ツッコミを間違える」という方法があります。オードリーの出世作でもありますね。間違ったツッコミはもうボケだと考えられまして、実際にこの例文は他と違いボケとツッコミが入れ替わっています(間違ったツッコミに必ずツッコまなければならいというわけではありません)。これもまたボケとツッコミの区別を難しくする一因だと考えられます。


8:おわりに
 以上のように、ツッコミを私の勝手で分類しましたけれども、もちろん一線で活躍している芸人ともなりますと、上記のツッコミを時と場合によって使い分けているのが普通です。

 例えば、こんな感じでしょうかね。
「僕の好きな女性アイドルは山田太郎さん」
「………まあ、今やね、ジェンダーフリーな時代ですからね」
「身長はキュートな5メートル」
「白鵬2.5人分ですか。日本でも珍しい肉体系アイドルですね」
「好きな食べ物は石油、砂利、コンクリート」
「もうアイドルどころか人でもないじゃん」
 例文のクオリティはともかく、様々な手法を使いこなしている感じがお分かりいただければ幸いです。

 ここまでツッコミの区別がつきづらいという話から、ツッコミの種類をザックリと説明してみましたけれども、ボケとツッコミの区別がつかなくてもお笑いを楽しむうえでは特に問題ございません。ただ、気が向いたときにツッコミの発言に注目して、このツッコミはあれかななんて考えるのもまた楽しいかもしれません。


演技漫才

 漫才の中に「キャラ漫才」というジャンルがあるようです。意味を簡単にまとめるなら「特定のキャラクターを演じて行う漫才」とでもなりましょうか。

 「特定のキャラクター」は基本的には自由なわけで、特徴的なキャラクターをただ演じる人もいれば更に特徴的な格好をする人もいます。そうすると往々にして普通じゃない格好や言動をネタ中にする形になりまして、必然的にボケがその役を担うことが多いようです。例えば、「オードリー」ですとボケの春日さんは常に胸を張るあの例のキャラクターをずっと演じ続けるわけです。もちろん、ボケもツッコミもキャラクターに扮するパターンもございまして、ウィキペディアに画像が乗っている方ですと、例えば「たぬきごはん」というコンビは両方ともキャラになりきる形をとっております。

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 衣装からして何らかのキャラクターになりきっていることがお分かりいただけるかと存じます。ボケのほりゆうこさんが「この辺りの大地主、西園寺家のひとり娘」を自称する「西園寺綾雨」を演じ、ツッコミの宍倉孝雄さんが「お付きのシシクラ」を演じて彼女の執事的役割を担います。お嬢様過ぎて世間一般に知られているものを全く知らないボケに対して、お付きのツッコミがピントのズレた解説をするネタを得意としておりまして、M-1では2015年こそ2回戦で敗退したものの2016年はこの形式で準々決勝に進出するという近年伸び盛りの実力者であります。また、キャラクターの管理も割ときちんとされているようで、ツイッターのアカウントも芸人用とキャラ用をふたりともそれぞれ持っているという徹底ぶりであります。

 「キャラ漫才」という形式自体はそこまで新しいものではないようで、「髭男爵」のおふたりなんかそのものずばりですし、解散をしてしまいましたが「ビーグル38」の漫才はふたりがご老人に扮するものであります。

 こうなるとひとつの疑問が出てくる方もいるようです。「コントと何が違うの」と。これを説明するためにはコントと漫才の違いについて整理しておく必要があるので、まずはふたつの違いについて書いてみます。

 漫才とコントの違いは何かと申しますと、個人的には「終始役に徹するかどうか」、もっと端的にまとめるなら「劇かどうか」だと思っております。劇なのがコント、そうでないのが漫才であります。

 出典がウィキペディアで恐縮ですが、コントは元々フランス語で「寸劇」を意味しまして、それがいつの頃からか笑わせる劇を呼ぶようになったようです。劇なので基本的に演者は与えられた役を全うし、そこからはみ出ることはありません。そして、劇なので暗転・明転、小道具・大道具、音楽に効果音と、劇でよく用いられるものを駆使することも往々にしてございます。

 一方の漫才は寄席の演芸が発祥のようでして、最初は三味線などの楽器を演奏しながらネタをおこなっていたようです。それがいつしか喋りメインになった。演芸なので基本的に漫才師として舞台袖から出て来て、漫才師として舞台袖に消えて行きます。何かの名残なのか舞台の中心にセンターマイクが置かれることもあります。劇ではなく演芸なので場面転換も音もしばしば自分たちでどうにかする必要がありまして、喋りで話題を変えたり楽器を演奏したりする漫才も見られます。

 これが漫才とコントにおける一応の違いではあります。しかし、ややこしいことに漫才中、「コントに入る」という行為が非常によく行われます。以前、当ブログにも書きましたが、漫才としてネタが始まるのに、途中でいきなり喫茶店の店員と客になって喫茶店のコントを始めたりします。この場合でも、ネタの節々や終わり間近になると漫才に戻るという点で漫才と判断することができるかと存じます。もちろん、コントの場合は最初から最後まで役に徹します。

 さて、「キャラ漫才」の場合はどうか。漫才って言ってるくらいですから漫才なのでありますけれども、なぜ漫才と呼ばれているのか。結論から言えば形式が漫才だからだと思います。舞台袖から出てきて舞台袖に去ってゆく、舞台効果を最低限しか用いない、などなど特徴は漫才そのものであります。

 ただ、「舞台上でキャラになり切っている」という点がコントと共通するため、判断がやや難化するのだと思います。それも、ややこしい表現になりますが、「キャラになり切ったままコントに入る」ということが多いため、漫才に入れるのが妥当と考えられます。例えば、王様の格好をした「王様キャラ」が「一度でいいからコンビニ店員をしてみたい」と言ってコンビニのコントに入る、みたいなものです。

 そもそもが漫才もまた、多かれ少なかれ演技をするわけです。本当は怒ってないけど、笑いが取れるからネタ中に怒っているフリをする。実生活ではやらないけど、ツッコミと称して相方の頭を叩く。暴れる、驚く、叫ぶ、喚く。演戯をしてるからコント、なんて言ったら漫才が全部コントになりかねません。それに、カンニング竹山さんみたいに自身が本来持っている性格を活かしてキャラにするタイプの方もいらっしゃるわけで(こちらのサイトを参照)、こうやっていろいろ考えると線引きが難しいところではありますが、「キャラ漫才」は漫才の体裁を取っているのでやっぱり漫才に入れたほうがいいのでしょう。

 まあ、お笑い芸人としては重要な「面白いかどうか」とは関係がない話ですけれども、なんか気になったので書いてみた次第であります。

笑声敏感

舞台に立つような仕事の人は、往々にして観客の様子が気になるようです。
当然と言えば当然であります。

お笑い芸人もまた、観客の様子が気になるようであります。
特にお笑い芸人の場合は、自分のネタの出来が笑い声で如実に分かる。
芸人本人はもちろん、観客や劇場関係者にもハッキリと知れ渡る。
そういう意味では成果が残酷なまでに明快であります。

ただし、慣れている人ですとその明快さをうまく利用しようと
あれこれ頑張り始めるようであります。
例えば、M-1でブレイクするちょっと前に、
ライブでオードリーのふたりを見たことがありますが、
ネタであってもちょっとしたコーナーであっても、
若林さんがしきりに観客を気にしていたのが印象的でありました。
妙なポーズを取ってウケを狙う春日さんの横で、
もうじっと観客の方を見て様子を逐一チェックする。
少なくとも私にはそのように見受けられました。

恐らくは、観客の様子によって舞台上でネタの微調整でもしているのではないか。
こういう若林さんによる常日頃の気遣いが、
オードリーの現在に至るまでの活躍に繋がっているかと思うと、
なんだか無関係の私ですら感慨深いものがあります。

もちろん、観客の笑いに敏感であることが、
思わぬ事態を引き起こす場合もあります。
例えば、これは私が体験した話であります。

とあるライブで私は井上マーさんというピン芸人のネタを見ておりました。
漫談が得意な井上マーさんは、その日も得意な漫談を披露しておられました。

で、その漫談のとあるポイントで私が思わず笑ってしまったのであります。
お笑い芸人のネタを見て笑っているのでありますから、
私の行為自体はライブ会場の誰にとっても全く問題ないはずであります。

しかし、井上マーさんが漫談を続けながら、
目をクッと見開いて私の方を見たのであります。
「あれっ?」という戸惑いの表情にも見受けられました。

その時は「なんだろう」と思っていたのでありますが、
すぐに理由が分かりました。
その数秒後に話のオチが来て、会場が笑いに包まれたからであります。
つまり、私は漫談の前フリの段階で笑ってしまっていたのであります。
簡単に言うと「隣の家に」と言った時点で笑ってしまい、
「塀ができたってね」も「へえ」も聞いてないのに何で笑うの、
みたいな感じであります。
恐らく、井上マーさんとしてもそういう心境だったかと存じます。

まあ、たまにはそういうこともありますけれども、
芸人は観客の笑い声に対して敏感になってしかるべきでありますし、
観客は自分の好きなタイミングで笑っていいものだと思います。
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